人生

「別れ」(別れてなくても)で悲しい気持ちになるときの対処方法

これまで、数千冊の読書、メーカーのエンジニア、起業、学校法人とさまざまな分野で数十年にわたって得てきたことをもとにお伝えします。

今でも30年近く、年100冊以上(毎週4,5冊)購入して読書をし、買いたいものは大体購入でき、家族とも仲良く楽しく生活することができています。
ここで、お伝えすることが、読んだ方にとって、何か一つでも役に立てれればと思います。

「悲しい気持ち」があるなら、とことん味合う

心配性の人は、「もし、別れたらどうしよう」という気持ちになることがあることがあると思います。
先日のブログにも似たようなことを書いたのですが、もう少し詳しく書きます。

その別れる相手は、恋人かもしれないし、親や子かもしれないし、友人、ペットかもしれません。
でも、全てにおいて「別れ」は存在しているけども、それを普段意識しないようにして生きると思います。

もし、誰かと別れることになったとき、それは卒業式などでも、いつでも本当は会えるはずなのに、もうこのメンバーで集まることはない、という気持ちなどでも、悲しい想いになることはあると思います。

そういう時には、徹底的に、思い出の品などを見て、過去を思い出したりしながら、悲しみを味わうことが大切です。
そして、時には、人のいないところや布団に向けてでも、大泣きをしたらいいと思います。

涙はいいですね。女性の方が出せる人が多いと思いますが、どこかすっきりすることがあります。
私は、泣くことが苦手なので、しんみりウルウルするくらいです。
それは、人それぞれの形だと思います。

やってはいけないことは、「悲しみ」と向き合わないこと

心のバランスをとるのがうまい人は、とことん泣いて、次に進むことができるのですが、臆病な人(私など)は、その悲しい気持ちと向き合うことが怖く、最初、そのことを考えないようにしてしまおうとしてしまいます。

実は、それが、「あるがまま」ではない「不自然な気持ち」ということになります。

不自然な気持ち、つまり、自分でそうではないのに、「そう思おうとする」「それを意識しないようにする」ということをすると返ってそのことばかり考えてしまうことがあります。

上に書いたように、自分の気持ちがそっちに向きたいのならば、向きたいようにしてあげることが大切です。

森田療法ではありませんが、「あるがまま」が大切だということです。

「今」だけを生きるから次につながる

落ち着いてきたら、次のステップは、その気持ちはどこからきているのかを考えます。

「未来」を心配しているのか、「過去」を懐かしがっているのか。

どちらでもいいのですが、「今」のその寂しい気持ちや悲しい気持ちを味わったあと、「未来」(別れたらどうしよう)、「過去」(あの時に戻りたい)というような、未来や過去の気持ちを考えるということは、「今」を生きていません。

大切なことは、「今」を生きることです。

特に、この「不安定な気持ち」というのは、時間があるときや、ヒマな時に出てきてしまいます。
事件を起こす人の多くが、「ヒマな人」というのは偶然ではないと思います。

一番、不安定になりやすい人というのは、「一人」で、「ヒマな人」です。
不安な気持ちになりやすいのなら、自分なりに目標を決めるか、人との会う約束を作るか、ボランティアや社会人サークルなどで人と会うようにするか、さまざまな形で自分を「孤立」しないようにします。

そして、「今」できる目一杯を一生懸命取り組みます。
自分が会社員なら仕事を、社会人サークルに入っているなら趣味も、主婦ならば家事や子育てを、何もないのならまず、「誰かの役に立つこと」を見つけて、それを始める。

酒飲んで、ゴルフやって、ゲームやって…というのが一番ダメな生活です。
「自分のため」も大切なのですが、「自分のためだけ」という点がNGです。

まとめ

資産家で幸せな人の多くが、別に働く必要がなくても、一生懸命働いたり、誰かのためになることを取り組んでいます。
資産家でも不幸になっている人は、その環境に甘んじて、努力をおこたる人です。

(ただ、人にも色々いますので、「努力」をもとめずに生まれてきている人もいます。「努力」をテーマに持っている人だと、それと逆のことをやっているので、いろいろと厄介なことが起きます。「努力」というのは、別に嫌なことを我慢するとか、そういうことではありません。その人がその人なりに、一生懸命生きていることを「努力」といいます。)

人は、この世に生を受けた以上、多分、なんらかの「成長」をするために生まれているのだと思います。

「成長」といっても、別にスポーツや勉強だけでありません。
人と会話する能力や、歌を歌ったり、絵を描いたり、文章を書いたり、家業を行ったり・・
なんでもいいです。

「自分のため」と「人のため」の両方を考えます。
ただ、もともと、自己犠牲しがちな人は、「自分のため」を多めにした方がいいです。もともと、「人のため」を普段からやっていますから。
ただ、タチが悪いことに、「自分は普段から人のために行動する、お人よしだ」と思っている人の大半が「お人よし」どころか「ドケチ」です。
もし、それが思い当たる人は少し考えてみてください。

本当の「お人よし」は、自分のことを「お人よし」だとは思っていません。(そういう傾向はあるかな、くらい)
そして、誰かのためにやったことを誇りもしませんし、たんたんとやります。
見返りも求めません。

ここに書いたのは簡単な話ですが、大人でも子供でも、簡単にできている人もいますが、お年寄りになってもできない人もたくさんいます。

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