次の点についてお伝えします。
・この本の気になった点を3つご紹介
私自身、ビジネス書、技術系書籍などを年間少なくとも100冊くらいは購入して読んでおります。
ロシアと言えば、今はウクライナの占領をしたりと近年は特に不気味な感じはします。
しかし、この本を読むとロシアのある意味合理的な動きと、日本政府がどのような働きかけを行っていたのかなどがわかります。
ロシアも、日本も、この時代(1945年)とあまり思想は変わっていないように感じられます。
第二次世界大戦の最後の数日でなぜソ連は日本に攻め込んできたのか、千島列島を奪っていった(少なくとも日本からはそう見える)のかなど、1945/8/10からの約一カ月間にフォーカスをあてることで見えてきます。
この記事は、2,3分で読めますので読んでいただき、何か一つでも参考になることがあれば幸いです。
1.1945年8月15日に戦争は終わっていない
日本では、終戦記念日ということで8月15日になっています。
極地的には戦闘もあったけども、基本的には、玉音放送(天皇による「終戦の詔書:意思表示の証明書」)により終わったと思っている人が多いのではないでしょうか。
日ソ戦争という言葉自体、一般的ではなく、そもそもこの戦争について日本では正式名称はありません。(ロシアでは、「ソ日戦争」と正式に名称をつけている)
1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告をし、満州などに攻め込んできています。
そこから、満州や朝鮮半島、樺太半島などで戦争が9月の上旬まで行われていました。
玉音放送も聞き、日本軍としては戦争は終わったものとしていたにも関わらず、ソ連は攻撃をやめることはありませんでした。
そのため、兵隊だけでなく、たくさんの市民(当時は、満州や樺太半島にも多くの日本人が住んでいました)が犠牲になりました。
また、1945年の終戦後、ソ連に連行された日本の兵隊は70万人以上とも言われ、10年以上、強制労働をさせられて帰国することができませんでした。近年も映画になったりしていますので知っている人も多いかもしれません。
省略しますが、日本は、ポツダム宣言を受け入れる前に、ソ連に間に入ってもらいたいという思いがありました。
軍部としては、当然、「無条件降伏」は受け入れられないわけです。
なぜなら、軍部は全員処刑される可能性があると考えていたら、それをするくらいなら、「徹底抗戦」して果てる方が良いと考えていたのかもしれません。
「無条件降伏」する前に、ソ連に「仲介」してもらえるかもしれない、と考えていて、8月8日に至るまで、何度も日本政府はソ連に打診をしています。しかし、その「仲介」をもらえるどころか、一番、日本の望まない「宣戦布告」という形で返ってくることになります。
2.ソ連の参戦をアメリカは待ち望んでいた
アメリカはソ連の参戦を待ち望んでいました。
1945年7月に核爆弾の開発は成功しましたが、それまでは開発が成功するかどうかはわかっておらず、アメリカとしても、ソ連と協力して日本を敗戦に追い込みたいという想いがありました。
その2本立てで考えていたということです。
諸説ありますが、核爆弾により戦争を短くできた、という風に言われていますが、ソ連の参戦があったから、日本は降伏を速めたという見方もあります。アメリカとしても、長い戦争は世論もありますので、行いたくはないわけです。
しかし、当時のソ連は、ドイツとの戦争がありましたので、そこまで戦線を広げたいとは思っていませんでした。
アメリカからは真珠湾攻撃の3日後の1941年12月11日には、カムチャッカ半島かウラジオストクで、爆撃機の基地を提供して欲しいとソ連に要望をしています。
アメリカのこの要望をソ連は受け入れることはありませんでした。
その後も、千島列島等を希望していましたが、ソ連は受け入れません。
ソ連としても、アメリカがそこに駐留することで、北海道をはじめ北方領土をとられてしまう可能性があると考えていたのかもしれないと書かれていました。
3.「日露戦争の復讐」という名目を持たせ、そして現代
日ソ戦争には戦う理由が、日本にも、そしてソ連にもありません。
ソ連国内においても、ようやくドイツとの戦争が終わった、ようやく帰れると思ったら、また戦争ということでした。
(当然、それに反対すると弾圧を受けます)
そこで、士気が上がらない中、戦う名目が必要になります。
それが、「日露戦争の復讐」だったのです。
スターリンは、1945年9月2日、その演説をラジオで行なっています。
現在のロシアでは、9月3日を「大戦終結の日」という名前でしたが、2023年6月に、「軍国主義日本に対する勝利と第二次世界大戦終結の日」と名前を改めています。
これは、中国では、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」としており、その中国との足並みをそろえ、中露の連携を意味し、日本を牽制するためとも書かれています。
戦争の火種は、形を変えつつ、現代にも続いていることを意味するのだと思います。
まとめ
今回、取り上げませんでしたが、ソ連が北海道の半分までを受け取ろうとしていたことや、終戦後も各地で戦争が続いていたことなどが書かれています。
新書ですので、それほど分厚くもない本ですが、情報量は非常に多く、一読してみていただけることをお勧めいたします。
国家間のやりとりなどを含めて、参考になることがあると思います。