「優しい人」とはどんな人でしょうか?
きっと、誰しも「優しい人」の像があると思います。
どの答えも正解です。人によって異なりますから。
私の考える「優しい人」とは、「相手の立場でものを見られる人」だと思います。
みんな自分の立ち位置で他人を見るからイライラしたりします。
本当は、他人も自分であり、自分も他人なのです。
相手と自分の似ているところを見つける
相手と自分の似ているところを見つけることで、共感できることってあると思います。
親子だと、逆に「短所」が似ていてイライラしてしまうことなどがあるかもしれません。
他人に対してもですが、自分のもっている短所と、他人の短所が同じ時に腹が立つというケースも多いです。
はい、それやめましょう。
「短所」は自分が直したいとか、自分に対して腹を立てているから、他人の同じ短所が許せなくなってしまいます。
もし、同じ短所を持っていると気づいたのなら、
「あの人も大変だろうな」
と思いやることです。「なんであの人は」じゃないんです。
争いが起こるのは、「分裂」の感情です。
本当は、みんな同じ「人間」なのに「違うもの」としてとらえるから争いになります。
「味方」は「見方」(ミカタ)
かつて、日本が第二次世界大戦で戦争をしていた時には、「鬼畜米英」とアメリカ人やイギリス人のことを「鬼畜」と呼び、アメリカ人は、日本人のことを、「イエローモンキー」と呼んでいました。
つまり、お互い「同じ人間」だと判断していないわけです。
「人間」ではないから、「殺しても良い」という考え方です。
閉鎖的に生きている人は多いです。
閉鎖的とは、自分の身内やよく知っている人だけが味方で、それ以外は敵だと考えるような考え方です。
敵も味方も本当はないです。
みんな自分の見方なんです。自分がラベルを貼るから、敵になったり味方になったりするのです。
「味方」って、「ミカタ」と読みますよね。
別の文字にすると、「見方」もありますね。
つまり、「見方」で変わるということではないでしょうか。
みんな、なぜか人は「区別」をしたがります。
住んでいる場所や、年代、所属、男女、太っている、痩せている、タバコを吸う、吸わない・・・あげたらキリがありません。
「区別」するから、優しくなれないのです。
「冷たい人」は自分自身のことを「優しい人」だと考えている
「優しい人になりたい」という人は、そもそも、もともと「優しい人」なんです。
その感情を持っていない人もたくさんいます。
別にそれが悪いわけでも良いわけでもありません。
「優しい」「冷たい」それも性質ですから。
自分が「冷たい人だ」と認識している人は多分「優しい人」です。
「冷たい人」は、自分が「冷たい人」だということすら、認識していないでしょう。
むしろ、そういう人は自分自身のことを「優しい人」だと考えているかもしれませんね。
自分自身しかみておらず、他人の立場で見ることができない人という人もいます。
そういう人がいたとしても、「大変だろうな」と考えるようにします。
「なんで、あの人は」ではないのです。
そういう人なのです。
「優しい人」は、自分自身が「優しい人」だろうかと考える
優しい行動に、正解はありません。
同じ行動をしても、人によって取り方は異なります。
つまり、優しい行動をしたと思っても、ある人からすると冷たい行動に映ったりするのです。
だから、「優しい行動」だろうか、と「優しい人」は考えるのです。
でも、そこを考えると自分がしんどくなってしまうこともありますので、「優しい人」こそ、強さが必要です。
強さとは、「気にしない」という強さです。