元首相が銃撃された件について、同志社大学の岡野先生の書かれている記事です。
子供の責任は全て親が背負うものであり、国は一切面倒を見ないようにしてきたと。
それをいままで自民党が進めてきたという内容です。
条例や法律が変わったところで、一般の人には関係ないように見えても、徐々に浸透し、やがてそれが一般常識になることの怖さというものがあります。
都心などの核家族化が進んだところでは、「地域が子供を育てる」という感覚はほぼないでしょう。
むしろ、地域の人が子供に話しかけるだけで、変質者がいると通報されかねません。
従来は、地域や社会が子供を育てるものでした。
ところがそれを分断化した方がいいという流れが戦後作られてきたことは間違いありません。
「自己責任」という言葉のもと、追いやられてきた人は非常に多いです。
そもそも、その「追いやられてきた人」というのは、本来、いつ自分がなってもおかしくはないのです。
銃撃事件が起きた、としたところで「かわいそうな人がいたんだね」では、何も世の中はよくなりません。
自分さえよければいい、というのは自民党とそれを支援する政党、企業、官僚によって作られた世界観です。
そんな冷たい世界には生きたくないものです。